あけましておめでとうございます。
ついに2011年になりました。
ドラえもんの誕生も間近ですね。
年明け早々ブログを書いてるくらいなのでわたしはヒマな正月を過ごしていますが、みなさんはどうでしょうか。
芸能人は海外へ行っていますね。
主にハワイのようですが、やはり正月は日本で過ごさなくてはいけません。
正月感は日本で過ごしてこそ完璧に感じられるものなのです。
さて、前回の続きです。
「説明力」、「知的一貫性」、「記述の正確さ」等々のさまざまな原理に従って問題が選択され、研究が始められ、結果が評価され、それから生じる可能性がある実利はたいして問題になりません。
たとえこの種の利益が得られるだろうと原理的に分かっても、知識は紅織された形で公開された資源として提供されます。
これとは違って、技術の知識評価の仕方は本質的に道具主義的です。
それで何が出来るかと言う基準で知識は集積され、価値を認められます。
技術の目的は、関連する技術(食物や物質の生産、武器の使用、健康の保持、通信の確立など)を保ち、改善することにあります。
・・・・端的に言えば、技術は「ノウハウ」をはっきり書き記したものに過ぎません。
この区別は明らかに図式的です。
しかし、これはこの次元で、科学に対して技術の方がはるかに大ざっぱにしか組織されない理由を説明します。